「ぼくの手の中にはナイフが埋まってるんだ」
そんな表現をする子がいた。
もちろんファンタジーだけれど
言い得て妙。
いつでも攻撃できるよう
埋め込まれているのだ。
その子は、傷ついてしまっている自分を守るため、ナイフを埋め込んでいるんだろう。
「ナイフを捨てなさい!」
なんて、そんなことは無理だ。
捨ててしまったら
どうやって自分を保つの?
ナイフを隠しもちながらも、こうしていてくれることの奇跡に感謝…そんな目で彼を見ると、ありがとうしか湧いてこない。
彼は、今にも殴りかかりそうな衝動を必死で抑えて、やむをえずチョークを粉々にして撒き散らした。
チョークを割って撒き散らしたことを怒る?
殴りかかりたい衝動を、他のものに置き換えたんだ。
「よく、誰か人に向かわなかったね。
わたしもね、カッァーっとした時に、ビニール傘折ったことあるよ」と、
怒りが他人事じゃないんだっと言いたくて伝えると、少し頬が緩む。
しばらく無言の時間を一緒に過ごす。
待つ。
…彼の閉じそうでつり上がった目も、開いてきた。
私は「チョークを片付けるのを手伝ってほしい」とだけ毅然として伝える。
すると、「すみませんでした」と、ほうきで掃いてくれた。
「ありがとうね、片付けてくれて」
わたしが、言いたいのはそれだけ。
帰り際も、最後に
「ありがとうね」
それしか伝えることはないのかもしれない。
母性でしか包めないものってあると思う。
2015年7月 スクールカウンセラー日記より