平成が発達障害の年だとしたら
令和はトラウマの年。
という言葉を聞いた。
そうか。今度は何でも「トラウマ」と言われる時代なんだろうか。
トラウマを回復させる
トラウマを癒す
そんなことに人々が勤しむ時代なのかぁと。
トラウマという名前をつけるから
癒さなければならなくなって
消し去らなくてはいけなくなるのでは?
傷はそのままだって構わない。
癒えたと思っている傷も
誰かと会うことでまた痛んだりする
ふと見る景色で痛みを思い出す
それら全てが
一人ひとりが見る景色を作っていって
誰かを想う気持ちを何層にもしてくれる。
道端の草花を愛しく想える。
潔癖な世の中になっていけばいくほど
汚れや傷や菌や・・・それらが排除されていって
感情までもが綺麗にならなくてはならないという。
令和がそんな時代だとは
私は思いたくない。
とは言ってもカウンセリングの仕事は好きだし
トラウマ治療のトレーニングを続けつつ・・・
矛盾を孕んだまま。
だから、私は舞うしかないんだなと思う。