感情の言葉を使わない人がいます。
それはその方のスタイルです。
でも、感じていることがあるのに表現できず
困っているのに、なかなか相手に困っている感じや、助けて欲しい感じが伝わりづらいことがあります。
困っている、助けて欲しいというのを発したことがなく慣れていないので、苦手だということにすら気づいていません。
そういう方が、感情の言葉を全く使ってこなかったことに気づくこと、気づいて唖然とすること
それはとても大きな瞬間で、感動的ですらあります。新しい自分に出会うときは「唖然とする」ものです。
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逆に、感じすぎてしまう人。
それが暴走というのでしょうか
脳のパターンで発動し、「感受性の暴走」になっている場合もあります。
ドラマティックさを楽しんでいるのならよいけれど、複雑なドラマは、まぁ疲れることですね。
そんな方が
「私ってドラマが…こういうドラマ設定がすごく好きなんですね」と
ドラマの役者から、監督になっていくプロセスも、すごく感動的なひとときです。
「だるまさんがころんだ。ストップ!」みたいに、日常のふとしたときに、自分をストップさせて、置かれている環境や思考の癖、体の動きのパターンなど、自分を観察してみる。
ストップ瞑想のように。
それによって、癖で動いている自分に気づくなど
日常の中で大事な瞬間を見出せたら、日常って宝物だらけに見えてきます。